「御成座敷」の由来     戦災焼失前の建物立面図
 

戦災焼失前の平面図(安政の地震後再建されたもの)

 「御成座敷」は、百花園創設当時、百花園に集うお客様のために、酒井抱一が設計したと言われています。座敷は、この地域で「水塚」といわれる、隅田川の洪水に対処するため、池を掘り、その土で塚(基壇)を築いたものの上に立てられています。この建物は、11代将軍徳川家斉公がお成りになって以降、「御成座敷」とよばれ、多くの賓客をお迎えしました。その後、安政の大地震で倒壊して後、再建されましたが、この二代目の建物は東京大空襲で焼失し、昭和36年に集会施設として再建されました。さらに、この建物も傷みが激しくなったため、昭和61年に改築され現在の建物となっています。
大正時代の御成座敷前景と御成の間室内